LANGUAGE

SAMURICE

スタッフブログ

日本のお弁当の魅力とは?

2018年6月4日


日本人の日々の食生活の中に欠かせない食形態である、「お弁当」。
学校や会社へ持っていく日常のお弁当から、お花見や遠足用のハレのお弁当まで、お弁当は生活を彩ってくれます。
本来、料理は作りたてが一番美味しいですが、お弁当には冷めた時に美味しい味のバランスが作られています。
昔から伝わる知恵、日本人の美的感覚、手先の器用さが詰まったお弁当の文化は、日本だけでなく、国外でも”Bento”という名前で、日本式の弁当箱とともに普及されています。

この食形態は、いつごろ生まれたものなのでしょうか。
また、よく知られる「日の丸弁当」や「幕の内弁当」は、どのような起源で生まれたお弁当なのでしょうか。
意外と知らないお弁当の秘密に迫ってみましょう。

お弁当の語源とは?

お弁当は、もともと中国語の便當(べんとう)」が、語源だと言われています。
便當とは、「好都合」や「便利なこと」を意味する中国南宋時代に作られた造語で、この言葉が日本に伝わった際に、「便道」「弁道」などの漢字が当てはめられました。
安土桃山時代に、「弁えて(そなえて)用に当てる」という意味から、現在の「弁当」という漢字になったと言われています。
もともとは中国から来た言葉ですが、そこに日本の感性が加わり、今の弁当になりました。

お弁当の歴史とは?

1、平安時代

お弁当の歴史は、平安時代にまで遡ります。
おにぎりの歴史を紹介した際にも登場したように、当時「屯食(とんじき)」と呼ばれる、携帯食としてのおにぎりが登場しました。
屯食だけでなく、「干し飯(ほしいい)」と呼ばれる、調理済みの乾燥米も普及し、これらは小さな入れ物に保管され、持ち運びされました。
干し飯はなんと20年間も保存が可能とされ、乾燥させたまま食べたり、水に戻して食べたりされ、貴族を守る武士たちの間で重宝されました。

2、安土桃山時代

安土桃山時代になると、笹や竹の皮に包んでいたものに替わり、「弁当箱」という箱型の道具が登場します。
イエズス会が発行した『日葡辞書』(日本語=ポルトガル語辞書)にも、弁当が項目として記載されました。
漆器や箱型の入れ物に食事を入れ、花見や茶会といった場で食べられるようになりました。
箱には蒔絵を施すなど、単に食事を持ち運ぶだけでなく、より食事を楽しむための工夫を凝らしていたことが伺えます。

3、江戸時代

江戸時代になると、五街道の整備に伴い人々の移動が盛んになり、旅行者や観光客の数が増えます。
移動に伴い弁当はより身近な存在となり、人々は簡単な「腰弁当」を作って持ち歩きました。
腰弁当とは、竹の皮や竹かごの中に、おにぎりをいくつか入れた簡易なお弁当を指します。
現代と同じように、弁当のハウツー本も江戸時代に多数出版されました。
ひな祭りや花見に向けての準備を行う庶民のために、これらの本には弁当の具体的な調理方法や包み方、飾り方などが詳しく書かれました。
現代と同じように、お弁当にわくわくする人々の姿が目に浮かぶようです。
また、現代でも人気が高いお弁当に「幕の内弁当」がありますが、これが登場したのも江戸時代のことです。

4、明治時代

当時は、現代のように外食設備があまり発達していませんでした。
そのため、勤務に出かける人々は、江戸時代からある腰弁当を持参して、仕事に出かけていました。
学生も、当時は給食制度がまだなかったため、弁当を持って学校へ通うのが一般的でした。
お弁当箱も、アルミニウム製や、アルミに皮膜を施したアルマイト製が開発され、より使いやすい、合理的なお弁当箱が生まれました。
鉄道がひかれ、最初の「駅弁」が販売されたのも明治時代です。
諸説ありますが、1885年、大宮-宇都宮間が開通した際に、宇都宮の旅館が駅で弁当を売り始めたのが最初の駅弁と言われています。
今では嗜好を凝らした様々な駅弁が販売されていますが、当時の駅弁は非常にシンプルなものでした。
内容は、おにぎり2個とたくあん2切れだけのシンプルなものが5銭で売られていたそうです。
また、ご飯を主食とした和風のお弁当だけでなく、サンドイッチが入った洋風のお弁当も、明治時代に初めて登場します。

5、昭和時代

工業が発展し、プラスチック製や、ジャー式の保温弁当容器が開発され、作りたての食事のように、温かいままの食事を携帯できるようにもなりました。
家庭で作るお弁当が便利になっただけでなく、外で買うお弁当も飛躍的な発展を遂げました。
弁当の専門店が登場し、フランチャイズシステムで急激に日本全国に広がります。
コンビニエンスストアでもお弁当が販売され、店の電子レンジを使用していつでも温かいお弁当が食べられるようになりました。
同時にスーパーマーケットの惣菜コーナーにもお弁当が並ぶようになり、お弁当を外で買って、家で食べることも当たり前になります。

お弁当の歴史を振り返ってみて、お弁当の発展には、人々の移動方法の発展も伴っていることが分かりました。
五街道の開通、鉄道の開通は人々の移動距離を飛躍的に伸ばし、それに伴いお弁当の需要も増えていきました。
現代の豪華な駅弁も美味しいですが、おにぎり2つにたくあん2切れで旅に出てみるのも、風流で面白そうですね。

様々なお弁当の種類

お弁当には、定番と言える、名の知れたお弁当の種類がいくつかあります。
何気なく知っている名前ですが、その由来や、中身にはどんな特徴があるのでしょうか。

1、日の丸弁当

日の丸弁当は、第二次世界大戦戦時中に作られたものです。
1939年、戦争への士気を高めるため、毎月1日が興亜奉仕日に定められました。
この日は、戦地で働く兵士の苦労を偲ぶため、市民も質素な食事をとることが推奨されました。
そこで作られたのが、日本国旗のイメージに重なる、白米に梅干しを乗せただけの日の丸弁当です。
梅干しを乗せただけのお弁当はかつてより存在していましたが、戦時中という時勢も合わさり、「日の丸弁当」という名前は当時の流行語にもなりました。
日の丸弁当は特に、小中学校で奨励されましたが、育ち盛りの子供達には栄養面でも、物足りなく感じられたかもしれません。
中には、子供を思って、ご飯の中におかずを隠して持たせた両親もいたようです。

2、幕の内弁当

幕の内弁当は、江戸時代に、能や歌舞伎を観覧する人々が、幕間(まくあい)に特製のお弁当を食べたことから、誕生したと言われています。
明治時代以降、幕の内弁当は駅弁の様式の一つとして一般的になります。
ご飯は一般的に白飯を使い、俵型のおにぎりが並べて詰められ、黒胡麻を散らし、梅干しを乗せたものが典型的な幕の内弁当とされています。
これは、当初おにぎりがご飯として入れられた名残であると言われています。
おかずは、汁気のないものを少しずついろいろと詰め合わせるのが一般的です。
特に、焼き魚、卵焼き、かまぼこ、揚げ物、漬物、煮物は多くの幕の内弁当に入れられており、代表的なおかずとされています。

3、海苔弁当

海苔弁当は、海苔をご飯のおかずとして食材に用いた弁当です。
弁当箱にご飯を詰め、その上に醤油などで味付けした板海苔を敷き詰めたものが基本的な形式です。
また、板海苔を敷く前に、味付けした鰹節や、昆布の佃煮をご飯の上にまぶすのが一般的です。
海苔弁当が確立した時期は定かではなく、江戸時代に板海苔が生産されるようになり、庶民が安価に手に入れられるようになってから家庭で広く作られるようになったと言われています。
1980年代に、出来立ての持ち帰り弁当を販売する「ほっかほっか亭」が、創業時に白身魚のフライとちくわの天ぷらを乗せた海苔弁当をメニューに加えたことで、商品名としても広く知られるようになりました。
使われる食材が身近なものが多いことから、安価なお弁当として定着しています。

4、松花堂弁当

松花堂弁当は、中に十字形の仕切りがあり、縁の高いかぶせ蓋のある弁当箱を用いているのが特徴です。
仕切りのそれぞれに刺身、焼き物、煮物、ご飯などを彩り豊かに配置し、幕の内弁当に似たところがあります。
しかし、起源は幕の内弁当と大きく異なり、松花堂弁当は茶会の前に出される懐石料理の流れを組んだお弁当で、誕生したのも昭和時代に入ってからと、比較的新しいお弁当です。
「松花堂」という名前は、江戸時代初期の僧侶・昭乗が構えた草庵の名前から取られています。
昭乗は、農家が種入れとして使っていた、箱の内側を十字に仕切った器にヒントを得て、茶会で使用する煙草盆や絵の具箱として、仕切られた箱を使用していました。
そこから時を経て、昭和の始め、日本料理の老舗として知られる「吉兆」の創始者が松花堂を訪れます。
昭乗の好んだ「四つ切り箱」を見て、茶会の点心の盛り付けに使えるのではないかと着想を得て、これが松花堂弁当誕生のいきさつと言われています。
器が十字に仕切られているため、煮物、焼き物、お造り、ご飯などの食材同士の味や香りが混ざらないため、それぞれの料理を美味しく食べられるとともに、美しく盛り付けることができる、まさに機能と美しさを併せ持つ器と言えるのではないでしょうか。

5、キャラ弁当

子供向けのお弁当を作る際に、子供を喜ばせたり、嫌いなものも自主的に食べさせたりするために、見た目を工夫することはお母さんなら誰しも考えることかもしれません。
子供向けの可愛いお弁当として、今でも人気のあるキャラ弁ですが、最初に書物に現れたのは、1974年に出版されたお弁当のハウツー本だと言われています。
本の中には、ウインナーをたこの形に切るタコさんウインナーや、ご飯の上にそぼろや海苔を使って動物の顔や自転車を描く様子が書かれています。
他にも、パンで立体的な自動車を作るなど、現在のキャラ弁の萌芽がここにみられます。
その後も「キャラクター弁当」を紹介する新聞の投稿や、出版物が販売されましたが、爆発的に普及したきっかけは、インターネット上で一般人のキャラ弁レシピが交換されたことでした。
プロの料理研究家ではない主婦が、ブログに日々のお弁当を載せ、レシピ本として出版されたケースもあります。
現在でも、SNSを通じて可愛いキャラ弁をあげる投稿は人気があり、日々のお弁当作りの参考にしているお母さんは多いのではないでしょうか。

多文化、多宗教対応したハラールお弁当

お弁当が”Bento”として世界に広がっている現在、日本の伝統的なお弁当が様々な食文化、宗教を持つ人々にも楽しまれるようになりました。
日本は比較的、食に対するタブーが少ないですが、世界にはベジタリアンや、豚肉やアルコールを避けるハラールの人たちもいます。
日本に観光に来る海外の方や、日本のお弁当を海外で楽しんでもらうには、多文化、多宗教対応したお弁当が今後求められます。

シンガポールに5店舗展開する日本米おにぎり、お弁当専門店「SAMURICE」では、本格的な日本食の味を残したまま、ベジタリアン、ハラールの方にも楽しんでいただけるお弁当を開発しています。
日本食に欠かせない醤油、酒をハラール対応されたものに変えたり、肉の替わりにキノコを旨味に使ったり、豆腐を肉の代用にしたりと、工夫を凝らして多宗教対応を行っています。
シンガポールはアジアの中でも様々な国籍、文化を持つ人が集まる国です。
特に、大勢の人が集まる会社での会議などでは、すべての人が安心して食べられるお弁当が求められます。
日本のお弁当を世界に広げるために、多文化、多宗教対応したお弁当は今後も発展が見込まれます。

SAMURICEのお弁当の発注は、こちらのオンラインストアから承っております。
ORDER ONLINE